年老いた親と心穏やかに暮らしていけたら、どんなに幸せなことだろう。
むかし話をしながら
「あーだったねー、こうだったねー」
と、じぶん達が幼かった頃のおもいで話をなんども何度もくりかえしながら…
親の介護とか考えてもいなかったころ、その光景は当たり前に訪れるものだと思いこんでいた。
父と母と姉とわたしと妹。五人家族がわたしの原点。
月日が流れ、父が亡くなり姉もがいなくなった。
ひとり一人欠けていく。
残された母を妹がみることになった。
二人で暮らし始めた母は幸せそうだった。
料理大好きな妹は、母のためにますます張り切って台所に立った。
静かな日常はあっという間に過ぎ去っていく…
やがて母に小さな変化が起こりはじめ…
雪道を転がり落ちるように、母は変わっていった。
聡明で物静かだった母は、自分に起きている変化に戸惑い、苛立ちをぶつけるようになった。親の介護という問題がわたし達の前に立ちはだかった。
夜、自宅に戻るわたしは疲弊していく妹も心配だった。
母が施設に入って二年経った。
顔を見に行くと、満面の笑みで迎えてくれた母の姿はもう見れない。
(この人はいったいだれだろう?)
と、困惑した表情を浮かべる母。
大好きな阿蘇のはなしをしても、目を輝かせることもない。
だけど、わたしはおかまいなしに母を抱きしめる。
人生相談に親の介護をしている人の悩みが寄せられていた。
優しく出来なくて、親に辛く当たってしまうと悩んでいる人の相談だった。
その優しさに涙してしまう。大変さも苦しさもとってもよく分かる。
「親は身を挺して、最後にあなたに教えてくれている」
と回答されていた。
母がわたしたちのことを分からなくなっても、落ち込んだりしない。
老いとはどういうことか、母が最後に教えてくれているのだから。