ピンポーン!
玄関でチャイムが鳴っている。
そのへんに置いてあるマスクをつかむと玄関に急いだ。
地区の公民館長さんが笑顔で立っていた。
「今日は敬老の日のお祝いを持ってきました」
「それはそれは、ありがとうございます」
わたしも笑顔で応対する。
一年前同じことがあって、内心ショックを受けたことを思い出した。
いつの間にか、敬老の日をお祝いするんじゃなくて、される側になっている…
むかしは還暦を迎えると、当たり前のように敬老の日のお祝いをしていたような気がする。
六十といえばまだまだ元気盛り。お年寄り扱いするには首をかしげたくなる人ばかり。
だんだん先送りになって、今や七十代からが敬老の日にふさわしくなったようである。
(じゃあ、わたしはショック受けなくてよかったんじゃない!)
父が六十代になったとき、姉や妹と
「お祝いどうしようかー」
と困っていたのを思い出す。
元気があり余っていた父に、敬老の日なんて言うと
「そんな年寄りじゃない!」
気を悪くしてご機嫌斜めになるのは分かりきっていた。敬老の日なんて一言も言わず
「美味しいもの食べに行きましょう!」
と、なにやら無理やりこじつけの理由で連れ出し、心の中で敬老の日のお祝いをしていた。
それに比べると母は見事だった。
生きることのすべてを支配され、何をするにも自分の意志では決められなかったはずなのに、柳のようにしなやかに穏やかな顔で歳をとっていった。
母の強さをあらためて思い知るこのごろ。
今は何もかも忘れて、わたしたちの日常とは別の世界に生きている母。
わたしの敬老の日はさて置いて、母を敬う日にしよう!
(って!七十代になっても敬老の日を受け入れないわたしの本音が見え隠れ!)