森野きりりの漂流日記

容姿もダメ頭もよくない、おまけに性格も悪いと自分を否定することしかしなかった女の子が、人生の荒波の中で「いやいや何も取り柄がなくても大丈夫さー」ということに気が付いていく長い長いお話です

いわためき(以和為貴)

 

父がロッキングチェアに座って揺れている。

そのうしろに

”以和為貴”

と書かれた額縁。

ずっと”いわためき”と読んでいた。

意味はわからない。

 

ずいぶん大きくなって

”わをもってとうとしとなす”

と読むのだと知った。

”わ”って”和”のこと?

うーん… 

父と和ということばは繋がりにくい。

 

大人になって働くようになって

親になって子育ての苦労を知って

こどもも大人になり手が離れて

 

たくさんのことが過ぎたあとに

和ということばとは繋がらないけど、こどものときには分からなかったいろんな思いの中であがいていたであろう父のすがたがフッと浮かんだりする。

 

長く生きてきた年月は親の有り難さを知るための時間なのかもしれない。

父の話になると

「あの時はああだった」

「この時はこうだった」

と文句ばっかりいっているわたしと妹は

ふっと顔を見合わせて笑ってしまう。

仏壇に向かって

「ごめんねー!おとうさん」

「なんだかんだと言ってるけど、大切なことはお父さんとお母さんに教わったよ」

という結論に落ち着くのがいつものことだから…

 

”以和為貴”という文字を見かけると必ず父の顔が浮かぶ。

父が亡くなって十二年、母が逝ってからも1年半経ってしまった。

一歩一歩、父と母の年齢に向かうわたしと妹。

さて、どこまで迫れるだろう…