母が施設に入ってあっという間に一年半が過ぎた。
荷物をまとめて、小さな引っ越しをしたのを昨日のことのように思い出す。
「今日から、ここのベッドで寝てね」
と言うと、
「うん、わかった」
拍子抜けするくらいにあっさりと答える母。
「家じゃないのに、なんでここで寝るの?」
そう聞かれたら、どう答えようか…さんざん考えていたわたしと妹は、思わず顔を見合わせた。
身の回りの物も、着替えも沢山は持っていけない。荷物の少なさに胸が詰まりそうになる。わたしも妹も、お世話をしてくれる施設の人も、いかにも楽しいことをしているかのように笑顔で荷物を収めていった。
あっという間に片付けは終わってしまった。
わけが分からずにじっと見ていた母。
施設に入ってすぐに新型コロナが流行りだした。
最初の頃は、夏が来れば終息するという予想だった。
予想に反して夏になっても勢いが弱まることはなく、訪問が徐々に制限されるようになっていった。
やがて、月に一回の通院も母を連れ出すことは難しくなり、薬を病院にもらいに行って施設に届けるようになって久しい。
先日、薬を届けに行った妹が
「お母さん、わたしのこと全然わからなくなっていた。」
と、寂しそうに言った。
「以前、一緒に暮らしていたよー」
と言うと、知らない人を見るような顔をしていたという。
喜怒哀楽の感情が少しづつ薄れていくのは、行く度にわたしも感じていた。
娘ということはわからなくなっても、
「妹かな…」
「従姉妹(いとこ)かな…」
という母に
「娘だよー」
と言うと、
「あー!そうだった!ごめんね」
と、あわてて謝っていた母。
妹の話は続く。
「ところがね、お母さんが突然阿蘇の話をし始めて、その時だけ笑顔になったのよ」
自分が生まれ育った故郷の話をし始めた母の顔が、生き生きと明るくなったのだという。
「わたしはねー、阿蘇で生まれましたとよー。阿蘇はよかとこよー。あなたは、どこ?」
阿蘇のことは、しっかりと憶えているのね。
あの雄大で美しい阿蘇の姿がまぶたに浮かぶのなら、生家の近くの透き通った水源の音が聞こえるのなら、わたしと妹があなたの大切な家族だったというのを忘れてしまってても、いいかな…
仕方ないって諦めるかな…
会うのが難しいなら、窓の外からのぞくだけでもいいから、今日行ってみようかな…