森野きりりの漂流日記

容姿もダメ頭もよくない、おまけに性格も悪いと自分を否定することしかしなかった女の子が、人生の荒波の中で「いやいや何も取り柄がなくても大丈夫さー」ということに気が付いていく長い長いお話です

悲しみの6月

 

月日は矢のように過ぎ去り、また6月が巡ってきた。

新型コロナをまだ誰も知らない2018年の夏に姉は旅立った。

 

姉が残したたくさんの遺品を片付けていたわたしの耳に聴こえてきたのは

西城秀樹の”ブルースカイブルー”という曲だった。

 

青空よ こころを伝えてよ 

悲しみはあまりにも大きい 

青空よ 遠い人に伝えて 

さよならと

 

それは恋人との別れを歌った曲だったが、深い悲しみに暮れていたわたしの胸に迫ってきた。ボロボロ涙を流しながら片付けをしていたあの年。

 

世の中をすっかり変えてしまったコロナも落ち着いた。(…そうなのかな)

姉が到達できなかった七十代に突入したわたしは、これからどういった心持ちで生きていこう…そんなことばかり考えてしまう。

 

 


庭に出てみるとブラックベリーが、実をつけているのに気がついた。

ザルを片手に嬉々として収穫していた姉の姿が浮かんだ。

あの頃は穫れる量がたくさんで、季節のあいだに何度も何度もジャムを作った。

「ブルーベリーと違って、種の始末がやっかいだね…」

そんなことを話しながら作ったっけ…

 

じぶんの身に起きて初めてわかるたくさんのこと。

大切な人との別れもそう。

 

ブラックベリーは庭の片隅に少しだけ、まだ赤くてひっそりと実をつけていた。

「忘れないでね…」

淋しがりやの姉がそう言ってる気がした。