森野きりりの漂流日記

容姿もダメ頭もよくない、おまけに性格も悪いと自分を否定することしかしなかった女の子が、人生の荒波の中で「いやいや何も取り柄がなくても大丈夫さー」ということに気が付いていく長い長いお話です

読書脳

 

新しい年が明けて相変わらず慌ただしい日を過ごしているけれど、突然本を読む暮らしが戻ってきた。

 

買い物の途中でふっと見上げた先にあった図書館。

見上げなければ何も思わず疲れた顔をして、買い物だけして帰っていただろう。

あの時、上を見上げたわたしを褒めてあげたい。

 

おかげで小池真理子に再会した。

再会した真理子さんは流石だった。

アッという間に本の中に引っぱりこんでしまうのはあい変わらず。

立て続けに三冊読んだ。

 

本を読み始めて

(あーあ…)

ちょっとだけ落ち込む。

毎日の暮らしに追われて、ただ追われている生活。

ページを繰りながら

(こんなことでいいのか…)

説教されているような後ろめたさを感じた。

ちなみにそんなことを思ったのは『感傷的な午後の珈琲』という本。

読まれた方なら

「えっ!そうだっけ?」

決して説教じみたことは書かれていない。後ろめたいなんて思うのはわたし自身の内面の問題だ。

ただわたしは、いつも叱咤激励されるのを求めている。

 

あれは、三、四年前のこと。

仕事中に目に飛び込んできた真っ赤な表紙の本。

「自分の人生を他人のせいにするな」

雷に打たれたように見入ったその本の題名は『絶望を生きる哲学』

すぐに手に入れて、何度も何度も読み返したのを思い出した。

 

真理子さんは文学的に、『絶望を生きる哲学』の池田晶子さんは哲学的にわたしに進むべき道を教えてくれる。

ただ池田晶子さんは若くして亡くなられた。年をとった池田晶子さんの本を読んでみたかった。




図書館で借りた三冊を読み終わると、次の本を借りに図書館に向かった。

読んでない本がまだたくさんあった。

 

せっかく読書脳(そんなことばがあるのか分からないけど)になったから、どんどん読んでしっかり考えて暮らそう!