うしろ姿を見かけて
(ひとりぼっちになったのね…)
と思ったけど、
(あれ…足取りは軽くはないけど、重くもないぞ!)
淡々と通り過ぎていった奥さん。
もう七年も前のこと。
思わず口元が緩んでしまう愛らしいワンちゃんを見かけると
(あーっ!ラッキー!)
こころの中で小躍りしたわたしと桃(…)
通り過ぎると振り返って、ピョンピョン跳ねるワンちゃんと奥さんを目で追った。
ワンちゃんも、一緒に歩いていたご主人ももういない。
なのに、うしろ姿に不幸せの影が見えない…
それは
すごい!と思う。
ひとりになってもしっかりと生きていくちからの源(みなもと)って…
”ひとりでいきる”
ということを考えていて思い出した。
一年前のちょうど今頃、まさに
”ひとりで生きる”
という本を読んでいた。
乱暴で辛口で言いたい放題に腹が立つのに、伊集院静の本は
(なんで、読みたくなるんだろうー…)
と首を傾げたくなる。
わたしが惹かれる作家は、ひとりで立っていると感じるひとばかり。
もっとたくさんいるはずなんだけど、最近はあたまが働かなくて、あまり思い出せない…
”ひとりでいきる”
というのは家族もいなくて、ひとりぼっちで暮らしているということではない。(現に伊集院静も美しい奥さんがちゃんといる)たとえ家族がたくさんいても、ひとりでも同じこと。
誰ともつるまないじぶんの世界を持っている。
ワンちゃんの奥さんが、実はどんなふうに生きているのかは知らない。
だけど、うしろ姿の潔さ(いさぎよさ)にわたしはこころをうたれた。
ことば一つ交わしたわけではないのに、奥さんは何かのメッセージわたしに投げて去っていった。