森野きりりの漂流日記

容姿もダメ頭もよくない、おまけに性格も悪いと自分を否定することしかしなかった女の子が、人生の荒波の中で「いやいや何も取り柄がなくても大丈夫さー」ということに気が付いていく長い長いお話です

猫の死から立ち直れない

 

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病院だったか、どこだったか…目にした新聞の人生相談。

何気なく読んでいたのに読み終わったとき、じぶんの目から涙が出ているのにびっくりした。相談の内容は飼っていた猫の死から立ち直れない夫を心配した奥さんの投稿だった。

 

人生相談を読んでいて、いつも思うことがある。

相談者はつらい状況を分かってもらいたくて、一生懸命自分の状況を説明しようとする。

ところが説明しようとすればするほど、本質から遠ざかっていくような不毛な思いをしたことはないだろうか。どんなにことばを尽くしても、なんか違う…

ことばの限界…を感じる瞬間。

 

それでも、切羽詰まっていればどうにかして自分の状況をわかってもらおうとする。

(全てをわかってもらうのは不可能なのに…)

そんなわたしの思いを代弁してくれたような、解答がその人生相談にあった。だから、こころが揺さぶられたのかもしれない。



相談される悩みの大部分は、掲載されない細部にありその細部にこそ回答のヒントがある。だいたいの人生はない。いくつものエピソードが集まってその人の人生になる。

答えるためには回答も繊細でなければならないと。それが無理なら、

「中途半端な回答はやめて、あえて乱暴に1点だけを答えます」

潔い(いさぎよい)回答にわたしは息をつめる。

 

相談者と夫の間に吹いていたすきま風を埋めていた猫がいなくなり、向かい合うことになった夫婦。猫の死はきっかけに過ぎない。目をそらしていただけで、あったかも知れない夫婦の危機。

「猫が去ったあと夫とどう向き合えばいいのか、自分自身で考えるしかない」

辛くても、どうしたらいいか途方に暮れても、自分の人生に答えられるのは自分しかいないという回答だった。



もう、15年位前のこと。

「相談したいことがある」

と友人に言われて、時間を空けて会った。

話は聞いたけれど、わたしの答えは最初から決まっている。

「自分で決めることだよ」

解決に至るいろんな方法を一緒に考えてくれるのを期待していた友人は、あっけにとられてわたしを見つめた。

 

答えられるはずがない。わたしにとって正しいことが、友人には正しくないかも知れない。本人でさえ気がついていない(かも知れない)こころの奥の奥の本音に、表面しか見えていないわたしには、たどり着くことはできない。

 

自分が着地できる場所を探すしかないのだと思う。

途方に暮れていても、そのうち時間が応援してくれる。

だからただ黙って話を聞く。わたしが相談に乗るといっても、その程度のことだ。

(そんな堅苦しいこと言ってないで、あーでもない、こーでもないって無責任に言ってくれればいいじゃん!)

…それも、ありかな?

 

その後夫婦はどうなっただろう。

向き合うことが出来ただろうか…

人生は長いようで、過ぎてしまえば一瞬だ。

共に生きて来れた幸せに、たどり着いていればいいな。