高校を卒業して大人の仲間入りをした十九歳の夏。
いつもの朝。
仕事に追われて、ビタミン剤飲んで、あごを突き出して通勤電車を待っていた。
壁に貼られたポスターを見るともなしに見ていた。…次の瞬間そのポスターにピタリと焦点が合った。
ダンスサークルのお誘いのポスターだった。
社交ダンスがどういうものかもよくわからないのに
(やってみたい!)
と、思ってしまった。
他人の視線が苦手で、下ばかり向いていたわたしの行動とは思えない。なぜってダンスほど近い距離に他人がいる状況はなかなか見当たらないでしょ。
そうやって、突然始まったダンスサークル通い。
ブランクはあるけど、出会ってから五十年も経った。
半世紀です!
流れた月日に思わずおじぎしたくなる。
「ダンス始めてどのくらい経つの?」
と、たまに聞かれる。
どんな時もわたしを支えてくれたダンスだけど、年月に見合った成果は出ていない。それを思うと、答えるのにちょっとためらってしまうけど、隠すことではないから正直に答える。
「十九で始めたから、五十年は経ったかな」
すると、必ず言われる。
「それだけ長いことやっているんだったら、先生になったらいいのに」
(とんでもないし、めっそうもない!)
と、思わず叫びたくなる。
(先生になれるひとと、なれないひとは分かれているのよー!)
ダンスだけじゃない。習い事って、ほんの一握りの教えるひととその他大勢の教わるひとに分かれている。
稀(まれ)に、努力を重ねてほんの一握りの世界に行けるひともいるとは思いますよ。
稀(まれ)にね。
ダンスを始めた頃、一年先に始めたひとを見て
(わたしも早くあんなふうに踊れるようになりたい!一年がんばったらなれるかな?)
ところが、一年経ったじぶんにがっかりする。ちっとも追いついていない。
二年経ったらなれるかな?
あれっ!二年経っても同じ。三年経っても…やっぱり追いつけない。
(どういうこと?)
それは…上達したらその時点で次の段階が見えてくるから。
(こんなんじゃない。もっと上手になりたい)
また目標を一段上げてそこを目指す。一段上に到達しても満足できないから、またその上を目指す。
何かを始めてしまったが最後、どこまでいってもきりがないという当たり前の真実にわたしも気がついてしまった。
先生も、先生にはなれないひとも思いは同じかも知れない。
「一生に一度でいいから先生のように踊ってみたい。そしたら、どんなに幸せかしら」
先生は苦笑いする。なぜって、先生も自分にぜんぜん満足していないのが見ていてわかる。
趣味ではなくて、日夜芸を磨いている有名なひとのインタビューなどで
「まだまだ未熟者です。もっともっと精進します」
と言うのを聞いて
(あー、そうなんだ!)
自分の芸にはそれなりに満足しているのかと、素人は思ってしまう。
そんな人たちと比べるつもりはないけど、何かを始めてしまったら、これで納得という領域には到達できないものなんだ…ということを言いたかったのです。
わたしは教わるほうの世界にいる、その他大勢の中のひとり。
泣いたり笑ったり、毎日の暮らしに追われながら、じぶんを力づけてくれる趣味に出会えた幸運を噛みしめているのでした。