年賀状を書く時期になると、メールしたくなるのがゆみちゃん。
東京で仕事をしていたときの同僚だったゆみちゃんは頭の回転が早くて辛口のコメントが小気味いい女子。
出会ったのはゆみちゃんが二十五歳で私は二つ下の二十三歳。
地方から出てきたわたしと違って、彼女は生粋の東京の人。気が合ってあっという間に仲良しになった。
同じ課に配属されたということだけでなく、二人が近づいたのには理由がある。
それが、ダンス。二人とも踊ることが大好きだったのだ。
仲良くなって趣味がダンスだと分かると、ありそうで意外とない共通点に歓声をあげた。
週末は歌舞伎町にある新宿コマに二人で出かけた。
薄暗くて顔もはっきり見えない巨大なホール。そこにはダンスを踊りたくてたまらない人が周りの壁にぎっしりと並び、踊り終わって壁に向かおうとするとすかさず手を差し出してきた。
生バンドに合わせて夢中で踊ること二時間。そろそろ疲れてきたわたしは、暗いホールの中をゆみちゃん探しに出る。その間にも
「踊りましょう!」
と、差し出される手を丁寧に断りながら、やっとゆみちゃんにたどり着いた。
新宿コマを後にして、心地よい疲れに浸りながら電車でゆみちゃんの住んでいる明大前のアパートに向かう。アパートではゆみちゃんのお兄ちゃんが黄桜を飲みながら待っていた。
お酒大好きのわたしと違って、彼女は一滴も飲まない。
近くの実家ではなく、兄妹二人で暮らしていた。
ゆみちゃんは仕事が早い。あっという間におつまみを作ると、先に飲んでいるわたしたちの前に料理を並べた。
三人で食卓を囲んで楽しい夜が更けていく。
わたしが電車と言わずに汽車と言ったのを、お兄ちゃんが聞き逃さず
「旅行じゃないんだから、汽車じゃなくて電車でしょ!国電とか私電とかさー」
と、笑い転げる。
(そうかー、東京では汽車とは言わないんだ)
心のなかで深くうなずく。
東京を離れてからの長い年月の間に、ゆみちゃんとは四回ほど会った。最後に会ったのは二十年近くも前のことになる。
「東京に遊びに行くよー」
と、言っていたのに地震が怖くて東日本大震災以降東京に行くことができなくなってしまった。ようやく予定をたてた去年、コロナ禍で中止になった。
薄暗くて妖しい魅力いっぱいの新宿コマはもうどこにもないし、日本酒の黄桜しか飲まなかったお兄ちゃんももういない。
生きている間にもう一度ゆみちゃんに会えるだろうか。