森野きりりの漂流日記

容姿もダメ頭もよくない、おまけに性格も悪いと自分を否定することしかしなかった女の子が、人生の荒波の中で「いやいや何も取り柄がなくても大丈夫さー」ということに気が付いていく長い長いお話です

三つ子の魂

 

孫が帰ってきた。

玄関から洗面所に一直線。

足台の椅子に上がると、蛇口を全開にして手をのばした。

安定の悪い椅子が心配だけど、だまって見守る。

 

ハンドソープをワンプッシュ。

手のひらを合わせて泡を全体に広げた。

指と指を交差させて洗い始めた。

それが済むと親指と人さし指で指を一本一本洗っていく。

反対側の手も同じように洗う。

次は手のひらに爪を立てて洗い始めた。爪の間を洗っているのだ。

もう一度、泡で手のひら全体を洗うとようやく動きが止まった。

手の泡をきれいに洗い流し、ペーパータオルで拭いて椅子から降りた。

 

ふぅー…

見守るわたしの方がひと仕事終えた気分。

コロナ禍でそうなったのか、今の時代の手洗いはそんなふうに教えているのかはわからない。それにしてもすごいなぁ…

幼稚園でお友達と並んで洗っている様子がありありと浮かぶ。

習慣になるまで、毎日毎日先生たちが指導してくれているんだね。

 

わたしの子ども時代は

「手を洗いなさーい!」

と言われて、しぶしぶ水をチョロっと手につけていただけ。

あれは手を洗ってるんじゃなくて洗ったふりだな。

 

手洗いが済んで、おやつの時間に突入した孫を見ていると

”三つ子の魂百まで”

ということわざを思い出した。

 

 

 

言うことをすんなりとは聞いてくれなくなった三歳の孫に振り回されているけど、追いかけ回して言い聞かせるより、じぶんがやっていることを考えるほうが先かも…

 

手洗いだけじゃない。

……

目にするすべてのことの見本が…まずは親。

じぶんを取り囲むきょうだいや親戚。

そして友だち。

成長しながら出会うひとびと…

 

ふと、走馬灯のようにあたまをよぎったもの…

わたしは何か大切なことを見落としてきてないだろうか…

一生懸命生きてはきた。

わたしの人生これでよかったのだろうか…

脳裏をかすめたそんな思いに、息をのんだ。

今さら何を…

 

ぼんやり考えていると、孫が天使の微笑みでふり返った…