阿蘇の新米が届いた。
アジのフリッター
大根の酢の物
残り野菜と高野豆腐を炊いたもの
それから鍋に少し残ったカレーに牛乳を足して作ったカレースープ。
訳のわからないメニューだけど、ピカピカの阿蘇のお米がある!
食卓に並べて
「いただきます!」
と手を合わせたその時、携帯電話が震えだした。
(後にしようか…)
思い直して通話ボタンを押した。
「お母さんが…」
飛び込んできた妹の声を聞くなり、バッグをつかんで家を飛び出した。
チョイスすることばが実に絶妙で、わたし達を笑いの渦に巻き込んだ母。
物言わぬ姿勢を貫いたのに、その背中が語ってくれたたくさんのこと。
認知症になって、わたしのことも妹のことも、愛してやまなかった阿蘇のことさえも忘れてしまった母。何もかもわからなくなっても、接する人を優しい気持ちになるように魔法をかけた母。
救急病院に担ぎ込まれた母が九十四年の生涯を終えた。
”コロナで会えないけど、ずっと一緒に生きているんだよ”
と、思っていたんだけどね…
しかたないね…
じぶんが何者かも分からなくなっても、それでもわたし達に見せてくれた凛とした姿を
決して忘れないよ。
幸雲街道のすき間から、わたしと妹が笑ったり泣いたり、時々ケンカしながら生きているのを見守ってね!