森野きりりの漂流日記

容姿もダメ頭もよくない、おまけに性格も悪いと自分を否定することしかしなかった女の子が、人生の荒波の中で「いやいや何も取り柄がなくても大丈夫さー」ということに気が付いていく長い長いお話です

「お安い御用!」

  

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母が入居している老人ホームから電話がかかってきた。

 

「新型コロナの検査で陽性でした」

半分、覚悟。

半分、まさかそれはないだろう…

まさかの方だった。

 

母は94歳。

……

ボーッとしている場合じゃない。すぐに病院探しが始まった。

 

「延命治療を望みますか?」

一番に聞かれたのが、妹と散々話し合っていたことだった。

「高齢になったお母さんをチューブでぐるぐる巻きにするのはやめよう。痛みや苦しみを取り除いてもらうだけにしよう…」

延命治療はしないと決めていた。

だけど、

「延命治療は望みません」

なんて答えられるはずがないというのを、初めて思い知った。

 

延命治療を望むのなら、病院を見つけるのが難しいという。

「えーっ!」

「延命治療を望んだら、病院見つからないの?」

「受け入れることが出来る病院を見つけるのに時間がかかります」

 

何度も会話を中断して、妹と話し合った。

「延命治療を選ばなくても、病院に入院するんだからコロナの治療はするはずだよね」

「治療してくれるのなら、とにかく入院させてもらおう」

「望みません。治療をどうかよろしくお願いします」

と、答えるとすぐに病院探しが始まり、入院先が決まった。

入院の準備を整え、病院に駆けつけた。

 

それからちょうど二週間。

なんと!94歳の母はコロナを克服した。

寝たきりで体を動かすことができなくなった体を、元の状態に戻すために一般病棟へ転院をすることになり、明るい気持ちで病院に向かった。

 

何ヶ月ぶりかで、母に会わせてもらえることになった。

キャップを被りゴーグルで目を覆い、エプロンで体全体を覆うと、母のいる病室に向かった。最後に顔を見たのはいつだったろう。

 

予想したとおり、母はわたし達のことは全然分からない。

「お母さん!」

呼びかけに無反応だった母も、ずっと声をかけていると目の焦点が少しづつ合ってきたような気がした。分かっても分からなくてもどうでもいい。声をかけ、手を握り、耳元でいろんな話をした。

 

名残惜しいけど、面会時間はあっという間に過ぎていく。

「お母さん、リハビリ頑張って元気になってね!」

そう声をかけたわたし達に

 

『お安い御用!』

 

母の大きな声がした。

妹とわたしは一瞬目を合わせた。

次の瞬間、病室は笑いに包まれた。わたし達の大きな笑い声に、母も嬉しそう。

母のこの明るさが、どよよんと暗いわたし達を力づけてくれるのだ。

「ありがとう!おかあさん」

「また、来るよ」

 

「また来てね」

は、聞けなかったけど『お安い御用』に力をもらい、病院を後にした。