森野きりりの漂流日記

容姿もダメ頭もよくない、おまけに性格も悪いと自分を否定することしかしなかった女の子が、人生の荒波の中で「いやいや何も取り柄がなくても大丈夫さー」ということに気が付いていく長い長いお話です

ゴーヤとにがうりはどう違うの?

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母の生まれ故郷の阿蘇での思い出。

 

お盆の集まりだろうか。それとも、何かお祝いの集まりだろうか。

ずらりと並んだご馳走の中に、にがうりがあるから季節は夏だな。

母の生家ではなく、近所のお宅でのできごと。

 

大広間にたくさんの人がご馳走を前に座っていた。

ふだん目にしないご馳走にワクワクする。

一番嬉しいのは寒天で固めた薄いピンクのお菓子。ほんのり甘くて、プリプリしてて…

(早く食べたい!)

逸る(はやる)気持ちを抑えて、目の前のご馳走に手を伸ばした。

 

寒天を横目に、黙々と食べているわたしの前に、突然皿が出てきた。

「にがうりも食べてねー」

にこにこ顔のおばちゃんが、わたしに言った。

 

 

(にがうりは苦いから苦手です)

出されたものを残すことができないわたしは、困ってしまって姉を見た。

姉もわたしと同じ災難にあっていた。

 

しかたなく必死でにがうりを食べた。

「あらーっ!にがうり好きだったのね!もっと食べてね!」

おばちゃんが皿にまたにがうりを盛り付けた!

(それは、ないです…)

涙目になったわたしと姉は、にがうりを前に呆然とするのでした。



「あれは、ほんとにきつかったねー」

阿蘇の話になると必ずにがうりの話を、姉としていたことを思い出す。

妹は記憶にないらしい。妹がこの話を知らないということは、わたしが小学校に入ったばかりの年齢だったのだろうか?

(食べ物のエピソードを妹が知らないはずがないからです)

 

ところで

にがうりって昔はとっても苦くてまずかった。

今はどれだけ食べても、どんな料理にしても苦いなんてぜんぜん思わないし、とても美味しい。

にがうりが変わったから?それとも、わたしの口が変わった?

 

にがうりではなくて、ゴーヤって言っているけど、同じもの?

ゴーヤだから苦くないのかな?

にがうりは今でもやっぱり苦いのかな?