森野きりりの漂流日記

容姿もダメ頭もよくない、おまけに性格も悪いと自分を否定することしかしなかった女の子が、人生の荒波の中で「いやいや何も取り柄がなくても大丈夫さー」ということに気が付いていく長い長いお話です

未来へのカウント

 

妹と話していて思うこと。

話している内容もしゃべり方も、若い頃からちっとも変わっていない気がするけど、そんなことはない!

わたしも妹もしっかりおばあさんになっているし、話しているのは歳をとったエピソードばかり。

 

メガネがどんどん合わなくなっているよね!

庭に出て畑いじりしようと思っても、腰が心配ですぐにやめてしまう!

若い人が使うことばの意味が不明。

面倒くさいと思う前に、面倒くさいことは最初から排除しているから、なんでも前向きだと勘違いしている。

それから…

いつも思い出話ばかりしている…

 

わたしは母が二十二歳のときに生まれた。

母がいろんなことが分からなくなっていったのは何年前だったろう?

八十歳のなかばだったろうか。

フトした瞬間に頭によぎるのは、今のわたしが持続できるのはいつまでだろう…という問いだ。

二十二年後は…

 

新しい職場は介護の施設で、たくさんのお年寄りが入れ代わり立ち代わり通ってくる。

母と同年代の人が大部分だけど、母より若い人もたくさんいる。

先日、リハビリでわたしの洗い物のお手伝いをしてくれた方は、わたしのひとつ上だった。

いろんなことが出来なくなって施設にお世話になっている方が、わたしと変わらない年齢なのだ。

ひとごとではない…と、思う。

穏やかで、話しかけると笑顔で答えてくれる様子にホッとする。

 

母は新しい施設でどんどん元気になっているらしい。

コロナで会いに行っても顔を見ることはかなわないけど、ちゃんと会話ができるようになっている様子を聞くと、新しい出会いに感謝しかない。

 

「お母さんは、可愛い方だね!」

「はい!とても可愛いんです。わたし達家族にとって天使のようです」

と答えると、

「あー!ホントだ!確かに!天使のよう」

 

母の近況を聞きながら、わたしも母を目指そうと決意する。

(難しいかもしれないけど…)

 

わたしの未来へのカウントは、あといくつ残っているのだろう…

どんな風に歳をとっていくかは分からないけど、母の姿を目標に最後のカウントまで希望を胸にがんばろう!