森野きりりの漂流日記

容姿もダメ頭もよくない、おまけに性格も悪いと自分を否定することしかしなかった女の子が、人生の荒波の中で「いやいや何も取り柄がなくても大丈夫さー」ということに気が付いていく長い長いお話です

親が子に最後に教えること Part 2

 

仕事帰りに妹のところに寄ってみると

「今日、施設から電話があった」

「お母さんに何かあったの?」

施設からの電話ならば、状況が好転したという明るい話ではなく心配なことが起こったと考えるのが普通だ。

 

「何かが起こったというわけではなく、最近の様子をお知らせしようと電話しました」

施設長さんのことばに、

「少しホッとしたけどね…」

と妹が話すのを聞きながら、母の顔を思い浮かべた。

 

母の人生って父に虐げられて苦労ばっかりだった…とずっと思っていた。

あまりにも存在感の強い父の後ろで、ひっそりと生きていた印象だけど

「実は一番強かったのはお母さんかもね…」

と、妹と目を合わせて少し笑顔になった。

 

母は時々思いもかけない絶妙なことばでわたし達を笑わせた。

奥ゆかしくて聡明で、可愛らしい母。

もうわたしのことも妹のことも、阿蘇のことさえも分からなくなって、ただ生きているだけなのに、そんな状態になっても

「可愛らしいお母さんだねー」

と言われる母。

 

コロナ禍で会えなくなって

「仕方ないね…」

って諦めていたけど、

「会いに行こう!」

と、決めた。

 

他の人に接触しないように、母が車椅子に乗せられて玄関先まで来た。

母は、鶴のように痩せていた。ギュッと目を閉じて、車椅子の上で顎を突き出して座っていた。

「今日は、元気な方ですよ」

(そうなのかー…)

 

アルコールでビショビショに手を濡らし、おそるおそる母のそばに寄った。

わたしが、閉じている母の目を無理やり開けさせると

「おっ!」

母の口から声がもれて、ちいさく開いた目が一瞬わたしと妹を捉えたような気がした。

次の瞬間には、無表情に戻ってしまった。

でも、その一瞬をわたしと妹は逃さなかった。

(きっと、お母さんには見えたね…)

 

抱きしめて母を感じたかった。

けれどコロナ禍の中、それは叶わぬ望みだった。

 

じぶんが何者かも分からなくなっても、それでもわたし達に見せてくれる凛とした姿を目に焼き付けて、わたしと妹は施設を後にした。



《親が子に最後におしえること》2022.1.6