森野きりりの漂流日記

容姿もダメ頭もよくない、おまけに性格も悪いと自分を否定することしかしなかった女の子が、人生の荒波の中で「いやいや何も取り柄がなくても大丈夫さー」ということに気が付いていく長い長いお話です

ひとりを知る part 2

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友達を求めてる人って沢山いるんだー。

つい先日と同じような記事を見つけて、そのことに改めて驚いた。

 

年をとったら友達がいたほうがいいかな…

年をとって友達がいないと孤独なのかな…

年をとって友達がいないのはみじめかな…

 

無理して友達を作るべきかって聞かれたら、無理して作るのは友達ではない気がする。

知り合いがたくさんいて、同じ趣味を楽しんだり、自分の考えてることを忌憚なく言い合ったり、意見が合わなくて距離をとったり…

そうやって共有した時間こそが生きてきた醍醐味だと、この年になってみたら気がついた。

そこで「友達」ということばに縛られる必要はないんじゃないかな。

 

わたしは…

年をとるごとに友達は少なくなっていった。

仲たがいしたとか、何かがあって嫌になったとかではない。長く生きてきて、たくさんの事を経験して、その経験から学んだいろんな考えが自分なりの生き方として確立されていく過程で、友達も厳選されていった。

淘汰(とうた)されていったような感じかな。

 

疎遠になった友達がダメな人ということでは全然ありません。

ひとはそれぞれ違う考えを持っているし、何をどう考えようと自由であるべきだと思う。

その中で、いちばん楽なことを突き詰めているうちに、はっと気がつけばあんなに仲が良かった友達がちょっと違う角度に向いているのに気がついた。

ちょっと違う角度を向いていても、嫌じゃなければ友達のままだし

「なんか、違う」

ちょっと距離をおきたいと思えば、離れてみる。それが寂しいとは思わない。

 

長いこと会っていないのに、会った途端昨日の続きのような…そんな友達は何人かいる。

でもそれは、たまたまめぐり逢っただけのこと。運よくね。

(こころの声に耳を傾けて、繋がった細い糸を離さない努力はしたかもしれないけど)

 

じぶんでじぶんを認めてあげれるような生き方を一生懸命してきたなら、友達なんかいなくても全然みじめじゃないと思う。自分自身が一番の友達であり理解者だもん。

 

「ひとりを知る」楽しさが見つかるといいな。わたしもまだまだ道半ばですが…