森野きりりの漂流日記

容姿もダメ頭もよくない、おまけに性格も悪いと自分を否定することしかしなかった女の子が、人生の荒波の中で「いやいや何も取り柄がなくても大丈夫さー」ということに気が付いていく長い長いお話です

別れの時、何を遺せるだろう

  

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わたしは30代の半ばまでお葬式というものを経験したことがなかった。

初めて、お葬式を経験したのはわたしの母の父、すなわちおじいちゃんが亡くなったときだった。

「えーっ!その歳までお葬式に行ったことがないの?幸せな人生だね」

と、言われた。私自身も幸せなことだと思っていた。

しかし、いつまでもそんなわけにはいかないのが人生。

やがて、わたしも別れの時を度々迎えるようになった。

 

これまで何度も悲しい別れを経験した。

四年前の姉との別れの深い喪失感は今も克服することができない。姉を思い出すたびに行き場のない悲しみと不安にくじけそうになる。

父との別れは悲しみの中にいても、乗り越えなければならないけじめのようなものを教えてもらった。だけど、生まれたときからずっと一緒だったきょうだいは、乗り越えようとしても気がつけば振り出しに戻ってしまう。まるでブーメランのようだ。

それでも、落ち込んでばかりいると、空の彼方から見守ってくれている姉を悲しませてしまうと、気持ちを奮い立たせて日々を生きている。



つい先日のこと、わたしは通夜の会場に向かっていた。

駆けつけた会場には思いもかけない沢山の人が集まっていた。

家族葬と聞いていたわたしは

「えっ!?」

会場を間違えたのかと思った。

 

芸能人でも有名人でもない、ひとりの男性の訃報に駆けつけた人々。

目の前には故人にひと目会いたい、ひと言お世話になったお礼を言いたいという人たち。

同世代のお年寄りだけじゃない、若い男の人もいる。ハンカチで涙を拭いながら、遺影の前にたたずむ人たち。

誰もが故人を見上げて偲んでいる…

 

いろんなお葬式に参列したわたしも、故人の人柄を偲ばせる光景に驚きとともに深い感銘を受けて、会場の入口で立ち止まってしまった。

 

近い将来、迎えることが分かっている別れを前にして、あんなにも静かな笑顔を見せることが出来るものなのか…闘病の苦しさを微塵も感じさせない最期の姿を思い起こすとき、強い覚悟があったのだと今更ながらに感じる。

 

それぞれの人のこころに大きなものを遺して旅立たれた姿を静かに思い起こしている。

あくせくあくせく生きているわたしは、その時何を遺せるのだろう。