森野きりりの漂流日記

容姿もダメ頭もよくない、おまけに性格も悪いと自分を否定することしかしなかった女の子が、人生の荒波の中で「いやいや何も取り柄がなくても大丈夫さー」ということに気が付いていく長い長いお話です

大震災から11年たった

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「東京で地震らしいよ」

ラジオのニュースで言っていたと、外回りから帰った営業さんが話している。

そのころはわたしはまだ現役でバリバリ仕事をしていた。わたしより少し年上の営業マンの男性は東京に家族を残し単身赴任している。

心配するわたしに

「いつものことだよ」

と、気にするふうではない。

 

ところがとんでもない規模の大地震が東日本を襲っていた。

仕事を終えて家に帰ったわたしは、テレビをつけた途端に流れている映像に固まった。

夕食の支度どころではない。テレビの前に座り、流れる映像を見続けた。

映画でもCGでもない、これが本当に現実に起きているのだろうか…

濁流とともに流される家や車。津波の恐ろしさを目の当たりにした。

 

あの日から11年たった。

3月11日は終日、テレビで地震の様子が映し出されていた。

多くの方が亡くなられ、今も行方がわからず探し続けている方の姿に言葉もなく見入るだけだ。

 

その映像を見ているうちに、地震のあとの記憶が蘇った。

東京はどうなっているのだろう。東京には甥っ子や叔母たちもいる。

当然、電話はつながらない。

ニュースで状況を推測するしかない。

電話がつながったのは、地震から何日目だったろう。

 

スーパーやコンビニから消えたという水のペットボトルを送ったり、新鮮な野菜が不足していると聞けば、ダンボールに野菜を詰めて送ったことを思い出した。

ガスや電気が止まって不自由しているだろうと、姉はカセットボンベを沢山買って送りに行った。

「危険だからって、送れなかったよ」

後日、姉はカセットボンベをわが家に持ってきた。一人暮らしの姉に大量のカセットボンベは必要ないのだ。

何かできることをしなくちゃ…と混乱したあたまで右往左往していた記憶が蘇ってきた。

 

今もなお、震災は過去のことではなく苦しんでいるひとが大勢いるということを忘れない。

風化させない。

想いをはせる。

災害は他人事ではなくどこにでも起こるかもしれないと、常日頃から備える。

そして、福島をはじめ被害にあわれた地域の特産品を探して買ってみます。