妹は話し込んでいても、木曜日の夜だけはあわてて腰を上げる。
なぜって、プレバトがあるから。
妹が俳句が好きだったなんて記憶がない。だけど、プレバトを一度でも見れば、見逃したくないと、急いで帰る気持ちはよく分かる。
解説の夏井いつきが、とにかく面白いのだ。
相手構わずめった切りにするところが小気味いい。
だけど、あの毒舌の解説を聞いていると、
(わたしも俳句作ってみようかな…)
では、なくて
(ああ…わたしには無理だわ…)
俳句と並んで、手も足も出ないのが短歌。
俵万智の『サラダ記念日』が世に出たときは、
(日常のことばで、こんなにあざやかに表現ができるのか…)
一首一首が心臓を突き抜けるくらい強烈だった。
『サラダ記念日』は、すぐに本屋さんに買いに走った。
ページを繰るのももどかしいくらい夢中になった。
最後までいくと、また最初に戻って見入った。
『サラダ記念日』が出版されたのは、わたしが一人で生きていくと決めて、足を踏み出したばかりの時だ。
仕事もなくこれからどうやって生きていこうか…
不安しかなかったあの時、わたしは一体どんな思いでその短歌たちを眺めたのだろう…
月日が経ちすぎて、不安だらけだったという以外は思い出せない。
今でも時々、本棚から取り出して眺めることがある。
改めて表現力のすばらしさに舌を巻く。
俳句は夏井いつきの毒舌を聞いて
(そうだ!そうだ。まったくそのとおり)
悔しがる梅沢富美男を笑って眺めたり
(エッ!この人が!)
アイドルだったり女優さんなんかが、
(ほおー!)
と、上手い句を作るのを見て楽しむくらいがいい。
無謀にも挑戦してみることは、何度かあった短歌。
あたまをどんなにひねっても、…ことばは降りてこない。
(あー、こちらもやっぱり無理)
俵万智は手の届かない憧れの人。
思い続けるだけでいいかー…という結論になりました。