森野きりりの漂流日記

容姿もダメ頭もよくない、おまけに性格も悪いと自分を否定することしかしなかった女の子が、人生の荒波の中で「いやいや何も取り柄がなくても大丈夫さー」ということに気が付いていく長い長いお話です

セーラー服の乙女たち は今…

f:id:kiriri-nikki:20211117141604p:plain

 

今も仲良しのわたし達四人を思うとき、縁(えん)ということばがふさわしい。

わたし達はそれぞれ別々の中学校から、何のつながりもなくその高校を選んだ。

 

わたしの場合は父が選んで、有無を言わさずだったので、流れに逆らえなかっただけ。

あとの三人はどうだったのだろう。なぜ、あの高校だったのだろう。

 

入学した当時は、同じ中学校を卒業したグループで動いていたのが、自然に波長の合うひとと集まるようになり、休み時間を一緒に過ごすようになり、帰るときは下駄箱のところで集合して帰るようになった。

 

その高校は白線がまぶしいセーラー服ではなく、赤い線のセーラー服だった。

(なんで、赤い線?)

と、心のなかで思っていた。

なんともダサくて制服は好きではなかった。なのに、制服を着た自分の姿を思い浮かべると、何故か胸がきゅーんとするような郷愁にかられる。

 

 

仲良し四人組になったわたし達は、他愛のない話で盛り上がって放課後の商店街をブラブラした。時にはカバンを抱えたまま海にも繰り出した。(がんばって歩いたら海にもたどり着けるところだったのです)

よく若い子たちが、大声で楽しそうに騒いでいるのを大人が眉をひそめて眺めたりするけど、まさにそんな年頃だったのね。

 

あのころは楽しかったなー!

親は子供たちを学校に行かせるために、せっせと働いていたのだと今なら分かる。

その年頃の悩みもあったのだろうけど、もう何も思い出せない。

 

卒業して、恋をして失恋もして、それから結婚して…

四人は別々の道を歩き出す。

それでも、離れることはなかった。一年に一回わたし達は必ず顔を合わせた。

 

そうやっていつの間にか、五十年が過ぎた。

いま合言葉のように唱えるのは

「来年も一人も欠けることなく、会おうね!」

 

「また、来年ね!」

と手を振るとき心の中で、ふっと思うのだ。

生きている間に、あと何回会えるのだろう…

 

出会いに感謝しながら、今年の『四人会』に、今週出かける。