すっかり忘れていたくせに、手にした本を見つめて
(やっと会えたね!)
と、思っているわたし。
本を助手席に置いて家路を急いだ。
青い色の中に月がぼうようと浮かんでいる表紙をそっと開く。
読み始めた途端、周りの景色が消えた。
小池真理子という作家がどれほど優れているかは、若い頃貪るように読んだからよくわかっている。初めて小池真理子の本を手にしたのはホラー小説だった。映画も小説もホラーは大嫌い。なのに手にした本を見つめて
(読まなくちゃ…)
ホラーはその一冊だけだった。その本を皮切りに一気に小池真理子の世界に魅了されていった。ほとんどは恋愛小説だった。
そのときに買った「恋」は一気に読んでしまうのがもったいなくて、後ろ髪惹かれながら
(今日はここまで!)
と、じぶんに言い聞かせながら限られたページを読むことを、仕事の後の最高の楽しみにしていた。読み終わると、また最初から読み直した。
後年、本棚の「恋」を見かけて読んでみると、あの時のような興奮はなかった。年月とともに、わたしもいろんな経験を重ねて変わっていったのだろう…
他の恋愛小説と何が違うのかはわからない。ただ小池真理子というひとの底に流れている強さとか、表面には見えてこないプライドとか、苦しみの中でこのままでは終わらないという強靭な何かを感じて惹かれたような気がする。
”月夜の森の梟”を読みながら、むかし感じたそんなことを思い出した。
(あー…小池真理子の世界だ!)
かなしみの中で書き続けられているのに、決して悲しいと泣き叫ぶ姿が思い浮かばなかった。
(やっぱりすごいね!真理子さん!)
と息を呑む思いで読んだ。
”月夜の森の梟”は、かなしみの真っ只中で書き続けられた。
ひとつひとつの目次を追いながら、視線を上げて立ち上がる小池真理子の姿がイメージできる。
最近は一冊読むのに一ヶ月くらいかかってしまうのに、一晩で一気に読んでしまった本を見つめ、
(よくぞ、この時期に巡り合うことができました!)
出会いに深く感謝した。