森野きりりの漂流日記

容姿もダメ頭もよくない、おまけに性格も悪いと自分を否定することしかしなかった女の子が、人生の荒波の中で「いやいや何も取り柄がなくても大丈夫さー」ということに気が付いていく長い長いお話です

ゴーヤのカーテン

   

 

朝の5時。

目が覚めて体をムクッと起こして気がついた。

(あれ!今朝は涼しい!)

爽やかさに誘われて庭に出てみると、見上げる空はもうすでに青い。

目の前は…鬱蒼(うっそう)と茂る”ゴーヤのカーテン”

 

”ゴーヤのカーテン”は文字通りカーテンになっていて、お隣さんと顔を合わせる気まずさから救ってくれる。

お隣さんとの関係が悪いというわけではないよ。

 

ゴーヤの先にお隣さんの玄関があり、出入りがとても多いお隣さんとは一日に何度も顔を合わせる。

愛想のいいお隣の奥さんは、

「こんにちはー!今日は暑いね!」

というような挨拶を、元気いっぱいしてくれる。

だけど…

顔を見合わせる度に何度も挨拶をしていると、さすがに隠れたい気持ちになる。

(向こうは気にしていないかも知れないのにバカだね…)

 

そんな時に救ってくれるのが”ゴーヤのカーテン”

爽やかなグリーンに長いこと見とれていても、何の気兼ねもない。

ゴーヤの先にお隣さんの気配は感じても、姿は見えないから知らんぷりできる。

(ゴーヤさんありがと!)

 

人間嫌いではないし、この歳になると人見知りというのも卒業しつつある。

なのに、世間話をしたり、愛想笑いをしたりするのがなぜこんなにも億劫なのだろう。

 

開けっぴろげで、おおらかだった昔の風景が懐かしい。

あの頃の大人は今のわたしのように、どうでもいいことに振り回されていなかった気がする…

 

ぼんやり昔を思い起こしているわたしの耳に、

「収穫してくださいよー!」

と、ゴーヤの声が聞こえた。

 

我に返ったわたしは”ゴーヤのカーテン”を開けて、両手いっぱい収穫しました。