森野きりりの漂流日記

容姿もダメ頭もよくない、おまけに性格も悪いと自分を否定することしかしなかった女の子が、人生の荒波の中で「いやいや何も取り柄がなくても大丈夫さー」ということに気が付いていく長い長いお話です

気になる?気にならない?

 

新聞を読んでいたら、気になる記事。

誰かと一緒に食事をしてる時、ご飯粒や野菜が少し残っているのを見ると気になるけど、どう思う?って。

若いひとでもそんなこと思うんだね。(そりゃそうか!)

実はわたしもすごく気になる。

「最後の一粒までちゃんと食べなさい!」

と言われた記憶はないけど、たぶんそんな育て方をされたんだろう。

 

気にはならないという人がいるのも、もちろん分かってる。

そういう場面に遭遇して

(………)

(えっ!残すの?)

っていうこと、たまにある。

だけど、わたしは何も言わない。

じぶんで選んでそうしているんだから。

大人だし。

興味があったのは、その問いに対する答え。

 

お腹いっぱいで食べれないのかも。気になるならあなたが食べれば…

残すという認識ではなくて、皿に残ったソースという感覚なのでは…

気を遣わなくていい相手にそんな事言われたら疲れる…

皿に少し残すのがマナーだという家庭に育ったのかも…

 

(なるほどねー…)

いろんな考え方があるねー…

しかし、

気にしてるほうのひとが、どうしても伝えたい(じぶんにとって大切なひとだから)思っていることをわかって欲しいというときは…悩ましいね。

 

伝えるのってほんとうに難しいもの…

しあわせの情景 Part4

 

日曜日の昼下がり…(日曜日もわたしは仕事)

仕事だけど三時くらいには帰れるだろう…

 

家に戻ってみると、息子がひとり寝転んでテレビを観ていた。

(あー疲れた~)

って言ったつもりが

「珈琲入れようか?…」

なんて言ってしまってる。

「あっ、お願いしまーす」

待ってましたと返事が返ってくる。

 

(なんで?こうなるかな?)

喉から手が出るほど珈琲を欲しがっているのはわたし…

じゃ、わたしが淹れるか…



お湯を多めに沸かして、コーヒーカップを温める。

コーヒー豆をセットして、ゆっくりと淹れ始めた。

いつもと違って今日は二人分だから、ちょっと丁寧にお湯を注ぐ。

 

 

「はい、どうぞ」

ひとくち飲んだ息子が

「美味しいー!」

続けて

「淹れるの、上手だね!」

えっ!(まじ…か!)

決して上手だなんて思っていないわたしは、素直に驚く。

 

上手だねと言われて、いつもの珈琲がほんとに美味しいと感じてしまった。

ただ、それだけのおはなし。

  

蝋梅のリベンジ

 

空があまりにも青かったから思わず庭に出た。

ウゥ…風の冷たさが身にしみる。

それにしても青いなあ…

 

 

青が身体中に染み渡ったところで庭に目をやると…

つい何日か前、蝋梅(ろうばい)の花が満開になっているのを見て感動したけど、今日は更に美しい。

思わず部屋にカメラ(携帯だよ)を取りに戻った。

「この間の写真ははひどかった」

「もっと綺麗に撮ってね」

蝋梅が言ってる気がした…

 

 

花を眺めているうちにいつの間にかぼんやりしていた。

 

仕事は楽しい。それは何度職場が変わってもどんな仕事をしても同じ。

楽しくないのは老化。

いろんな耐用年数がそろそろ限界に近づいているからね…

ところが…

 

先日の仕事中のこと。

「きりりさん、これ出来るんですよね?」

振り向くとそろばん(!?)をはじく仕草。

わたしより二、三十歳以上は若いであろう上司がそろばんの仕草をしたのがおかしくて

「そろばんできますよ(笑)でも今は電卓ですよね…」

「そうそう!電卓。よかったー!じゃあお願いしたい仕事があるんですけど」

 

思いもかけない話。

”棚からぼた餅”の気分!

蝋梅を老梅(さみしい…)と勘違いして、わたしのようだと僻んでいたけれど、人生はどこにチャンスが転がっているかわからない!

今更わたしに出来るだろうか…と不安はあるけれど、(気持ち新たにじゃなくて)頭新たに頑張ってみよう。

 

 

長いこと離れていた仕事だから簡単に軌道に乗れるとは思わない。

「ファイト!」

応援するかのように黄色の花びらが風に揺れる。

どこのコーヒーが好き?

 

十年ほど前のこと

「意外と美味しいんですよ」

と誘われて初めてセブンのコーヒーを飲んだ。

コンビニコーヒーデビューはセブンだった。

 

「思ってたより美味しいねー」

(ふーん…これが百円で飲めるなら…)

その日をきっかけにセブンを見かけるとつい駐車場に入るようになった。

 

お湯を沸かしてコーヒーカップを温め、フィルターに豆をセットして慎重にお湯を注いでいく。ゆっくりと落ちていくコーヒーをじっと見つめているひととき。

それはそれで至福の時間ではあるけど。

 

 

とりあえず…とりあえずコーヒーが飲みたい…

そんな時…

 

紙コップを片手に運転席の窓を開けて、空を見ながら

”プワー”

っと深呼吸する。

美味しいというより何かから(何だろ…)の解放感…にひたる一瞬。

その後、何年もセブンのコーヒーを飲んでいた。

 

テレビでコンビニのコーヒーの特集をやっていたのを見て

(他のコーヒーも飲んでみようか…)

”世界一のバリスタが認めたコーヒー”

という触れ込みにつられてファミマのコーヒーを飲んでみた。

(???)

(うーん…苦い)

コーヒーだから苦いのは当たり前なんだけど、わたしの好みの苦さではなかった。

炭焼は苦手。そんな感じの苦さ。

 

職場が変わると当然通る道も変わる。

今度の職場はローソンが通り道にあった。

(ものは試し。飲んでみようか…)

……

(あれ!好きかも…)

苦味とこくと飲みやすさがわたしにはちょうどいい。

 

 

 

こうして、この歳になったわたしの口に合うコンビニコーヒー

ローソンに落ち着いた。

…今のところね…

 

(…百円の時代はさり気なく終わり、今は百二十円トホホ)

蝋梅(ろうばい)

 

たまには爽やかな風を入れてあげようと思いついて、滅多に開けない南側の窓を全開にした。

目に飛び込んできたのは思いもかけない黄色の輝き!

 

梅の花だ!

かつて蝋梅を老梅と書くのだと思っていたわたしは

(さみしい気持ちになるよ…)

 

 

寒い今の季節に咲く可憐な花びらは雪を連想させる。

ニュースでは能登に降る無情の雪が映し出されていた。

一日も早く日常が戻りますように。

 

 

 

ことばのちから

 

何という年明けだろう!

元旦の夕方四時過ぎ、テレビを見ながら食事をしていた。

地震速報”

のテロップに箸を止めた。

「震度五強だって…」

「正月早々いやだね…」

その数分後震度七…の文字。

 

テレビを凝視したまま熊本を襲った地震のことが頭をよぎった。

「大地震です!大地震です!」

男性の不気味な声でマイク放送があり、その声に恐怖心を煽られて部屋の中をぐるぐる回っていたのを思い出す。

 

親類や知人が地震のあと揺れる家が怖くて車中泊をしていた。

ついこの間のように感じるけど、あれから七年も経った。

復旧の進捗状況を検索してもまだまだ先の長い話。

 

そして元旦の能登半島地震

毎日地震の様子がテレビで流れ続けている。

それをただ傍観しているだけの後ろめたさ。

 

「日常を送れる方はいつも通り日常を楽しむこと」

「あとは募金とか」

「支援しようと自家用車で駆けつけたりしたら道路が混み、緊急車両の邪魔になり助かる命も助からなくなるので、今自分がいる場所で精一杯生きるのが大切…」

自衛隊上がりのお笑い芸人(上がってないのかな)のことばを目にした。

 

………

このことばに救われた人はわたしだけではないと思う。

やす子という芸人さんが好きになった瞬間。

 

地震だけでなく世の中にあふれている戦争や事故やたくさんの悲惨でかなしい出来事。

ニュースをただ見ているだけのじぶんに感じる後ろめたさ。

(ありがとう…)

(日常を大切に過ごすよ…)

その中で何ができるか考えて、できることはやろうと決めた。

新年あけまして

今日は元旦。

晦日は明け方までtverを見ていたので、いつもの時間には起きなかった。

本当かどうかは分からないけど、睡眠時間が少なすぎると何かと問題があるらしい…

ということで、用心のためベッドの中でダラダラ過ごしていたのだ。

 

八時になってようやくベッドから抜け出した。

すぐに着替えてウォーキングに出発。

近所のおじさんと神社で遭遇。

階段で新年の挨拶をしていつものルートを歩いた。

 

世の中が良くなっているとは思えない。

真面目にコツコツと生きていればなんとかなる…とわたしたちは若い頃思っていた。

今の若者は未来に対してどんなことを想像するのだろう。

 

 

葉っぱが落ちて枝だけの空を眺めて深呼吸をする。

 

 

世界中の人々に、争いがなくなっていきますように…

長く生きてきたわたしは

「新年あけましておめでとう!

といえることが一番のしあわせだとこころから思う。