「もっと前面に出てきてね!」
と思ったら、突然表舞台に現れた義時さん。
折しも一時間以上もかけて、義時旬さんを見つめることになったここ何日か。
これまでの大河ドラマって、家族みんなでワイワイ楽しみながら見る番組だった。
日曜日の夜、また明日から新しい週に向けて仕事だったり学校だったり、それぞれの生活が始まる前の家族の団らん。
この度の大河ドラマも、そんなのんびりした気持ちで見ていた。
大泉洋の軽い軽いノリの頼朝像に、
(これで大丈夫なん?…)
なんて思いながら、そのノリを楽しんでいた。
ところが、頼朝の顔は少しづつ変化していく。軽いノリから冷徹な瞳が垣間見えるようになり、ついには
(えっ!)
(冗談だよね!それはないよね)
と、思うことが増え、
(なんだか、見るのが怖くなってきた…)
ひとりでテレビを見ているわたしは、
(次回からどうしようかな…)
と本気で迷い始めた。
脚本家の狙いどおりの展開?
苦しむ義時を目にして、こんな形で注目したいんじゃなかった…
怖くなってきた来たけど、もう目が離せなくなっている。
ドラマ『日本沈没』で、小栗旬の演技に涙したことを思い出した。自分は芝居は上手くないって言っていたけど、こんなに胸に響いているのに上手くないってどういうことかなー
日曜の夜は、
「辛くて怖いよ」
と、一緒に苦しみながら見続けるのだろうな…
脚本って、最初から全部出来上がっているのだろうか?それとも、刻々と状況に合わせて変えていくのだろうか?
変えていくとしたら、目を離せない技。
凄いね!