森野きりりの漂流日記

容姿もダメ頭もよくない、おまけに性格も悪いと自分を否定することしかしなかった女の子が、人生の荒波の中で「いやいや何も取り柄がなくても大丈夫さー」ということに気が付いていく長い長いお話です

奇跡の出会い part2

ドラマを見終わったので、本と映画の日常に戻った。

もちろん生活の糧である仕事は優先順位一番に居座っていますよ。

 

 

良いドラマの条件って何だろう。

思い返してはまた見よう‥という気持ちにさせることだろうか。

なんか騙されたような‥

ハッピーエンドだったから、まっいいかー‥と思いつつ

気がついたら″First Love初恋″

を見ようとしている。

(いかん!いかん‥このドラマは長すぎる)

(本にもどろう!)

 

読みかけというより、いちいちこころに刺さるので一向に進まない本を開いた。

(といっても、もう何回読んだかわからないくらい読んだ)

これから大人へと成長していく若者に贈るメッセージってなってるけど

もしかしたら若者よりも大人のこころに刺さるんじゃないか!

って感じる″14歳の君へ″の章。

たとえば

他人を気にすることで自分を不自由にしているのは自分でしかない。

たとえば

他人に侮辱されても自分の価値をしっているなら他人の評価なんか気にならないはず。

たとえば

人間は必ず死ぬものだからこそ生きていることが大事。

 

これだけじゃないよ。

よーく考えたらなるほどと思うことが

大人にも、これから大人になる若者にもわかりやすいことばで

これでもかっていうくらい綴られている。

 

赤い表紙の本を見つけたとき

開いてまず一章を読んだとき

池田晶子に出会えた奇跡に感謝した。

 

実は高校生の時から哲学は大好きだった。

でも昔の哲学の本は額にしわ寄せて一生懸命に読む本だった。

こんなに気楽に

家事をしながら

ウォーキングしながら

眠りにつく暗闇の中でも

生きている哲学があったのだ。

 

もしも14歳の時この本に出会っていたら‥‥

考えただけでワクワクするけど

 

それはありえない。

 

池田晶子はわたしより10歳歳下‥‥‥

なのです

 

 

 

 

ハッピーエンドじゃないと許さない

ドラマも一応最後まで見終えたので、

さて‥もう一回見るかな‥

いや、後半はなかなかしつこかったから

やめとくかー

満島ひかりはよかったなー

 

若い頃は映画を観終わってハッピーエンドじゃなくても

それはそれで受け入れていたように思う。

人生の悲哀だね‥とかカッコつけて。

 

いつの頃からか

(えっ!別れちゃうの?)

(涙でジ・エンド?)

許さなーい!お金返して!

ハッピーエンドじゃない結末に激しい怒りをおぼえるようになった。

だから最初からそれがわかっている映画は観に行かない。

 

ドラマ″First Love初恋″

は、すったもんだの挙句恋が成就するもんだと思っていたら

何故かわからないまま別れてしまった‥

ガーン!!

見なきゃよかった‥

 

終わったはずの画面は、昔にもどったり現在になったり

(まだ終わってないの?)

ドラマはまだ続いているようだった。

そして

(えっ!)

幸せな結末になっていた。

 

なんだか弄ばれた気分。

幸せになったから

まあ、いいんですけど‥

 

 

 

 

夢中になれるしあわせ

この一週間は本とドラマと映画で忙しかった。

 

昼間の空き時間は可能な限りドラマを見た。

時計とにらめっこしながら

(あともう少しだけ‥五分でいいから‥)

後ろ髪引かれながら仕事に戻り、

鍋のお湯が沸騰するまで

胡瓜に塩をしてしんなりするまで

短い時間を積み重ねて本を読んだ。

そして仕事が終わり部屋に戻ると映画の続きを観た。

 

ドラマは佐藤健と満島ひかりの″First Love初恋″

本は池田晶子の″死とは何か″

映画はロバートレッドフォードとブラットピッドの″スパイゲーム″

 

何度観ても色褪せない大好きな映画。

見終わるとまた最初から。

ということを繰り返して三回観た。

 

何度読んでも納得でウンウンと頷いてしまう本。

 

そして偶然見つけてハマってしまったドラマ。

 

以前なんなく出来ていた仕事に手こずっているのに

能天気なことだ。

能天気ではあるけど気は抜かない。

だって、この仕事

ひとつ失敗をしたら‥‥

同じ失敗を次の日もしてしまったら‥‥

 

そんなことは許されない年齢になっている‥‥

後釜はいくらでもいるんだよ。

そこら辺はよーくわかっているよ。。

 

 

 

 

 

 

 

 

一刀両断

仕事が終わってやれやれ‥

と腰を下ろした。

手が勝手に動いて、見たいわけでもないテレビがついた。

ぼーっと眺める。

 

絶対に切れないという鉄と切れないものはないというカッターの対決があってた。

。。。。。。。。。

なんだかんだの末、カッターが勝った。

鉄を切る水カッターってすごくない!!

ごっつい鉄が見事に真っ二つ!

美しいカット面。

切れないはずの鉄は右と左に分かれた。

じーっと見いるわたし。

 

右か左か

上か下か

賛成か反対か

奴隷か自由か

 

右と左の真ん中にある事情を

一刀両断に断ち切る説得力に圧倒され

ますます私は本から目が離せない。

 

 

 

 

 

奇跡の出会い

赤い表紙の本と出会ったのは2020年のことだった。

 

そのころわたしは病院で掃除の仕事をしていた。

気難しい院長先生の部屋の掃除が終わり、モップと掃除機をかかえて

副院長先生の部屋に入った。

‥‥‥

赤い何か‥‥

何かが目に入った。

両手の荷物をそっと床に置き、吸い寄せられるように赤いものに近づいた。

『絶望を生きる哲学』

中を開くまでもなかった。

わたしに出会うためにそこにあると確信した。

表紙を凝視したあとは無心で掃除をすませ、本を手に入れるために急いで帰宅した。

 

こどもの頃から数知れないほど本は読んできた。

興味の対象は年代とともに変わってきたけれど、

変わらずに私と共に生きてきた本が数冊。

その中の一員となった赤い本の作者は池田晶子

私より十歳若いこの方が今も生きていたら

どんな哲学を語ってくれただろう‥

 

いくつになっても道に惑うわたしは

本に入り込みカツを入れてもらわなくてはならない

 

 

 

 

沼の中から見上げる

新聞を広げるとやっぱり真っ先に開くのが 

人生相談のコーナー。

なんでこうも他人の悩みに関心があるのか自分でもよくわからない。

ただ、相談者の内容は斜め読み。

あっ、そういう悩みね‥‥ 

内容さえわかれば

さて‥なんと答えるのかな‥‥

興味はそこ。

 

そして

いつもいつも思うのだ。

じぶんの浅はかさ、思慮のなさ、無駄に歳をとってきたという自己嫌悪。

たぶんこんな感じの答えかな‥という予測はいつも外れ

思いもかけない回答に唖然とする。

相談者するひとに寄り添っていたわたしは見事に裏切られ

じぶんのあまちゃんぶりに意気消沈する。

 

天地がひっくり返っても

前向きで建設的な考えに到達しないわたしは

相談者と一緒にズブズブと沼にはまって喘ぐのだ。

 

そんな日々

赤い表紙の本がおいでおいでしていた。

悩みの沼にはまっていたわたしを救う赤い本。

もっと根源的なことを考えなさい!

ハッとしたわたしは手を伸ばした。

しばらくの間何も考えず

本に没頭しよう‥。

と思った

支配されている‥

日曜日の昼過ぎ。

たまった新聞でも読むかな‥‥

いや‥しごとを先にすませてしまおう。

手にとった新聞を元に戻した。

 

ほんとうは歩いて行きたいけど、まだ膝は完治していない。

車で5分くらいの所にあるスーパーへ向かうと

パパパっと買い物をすませて帰宅した。

 

(さてと‥‥)

椅子に座ったわたしの手はなんということもなしにバッグの中を探っている。

意識にはないのに手が何かを探している。

次の瞬間

(ない!)

突然、じぶんの手が探しているものに気がついた。

携帯電話がない!

(あれ‥?どこだ‥)

バッグの中を探るけど見当たらない。

バッグの中身をテーブルにぶちまけて探してもない‥

 

えーっと?

(あっそうだ!支払いをする時、時携帯電話を出して操作した)

(レジのところに忘れたんだ!)

スーパーに問い合わせしようとして電話できないことに気がつく。

(あれーーー)

 

車のキーをつかむと家を飛び出した。

サービスカウンターの人を捕まえると

「あの‥携帯電話忘れたんですけど届いてないですか」

わたしの剣幕にたじろぎながら

「いえー、届いてないですよ」

涙目のわたしは途方に暮れる。

 

後ろ髪ひかれるけどないのならここにいてもしょうがない。

トボトボ車に戻った。

さて、携帯電話がないからその事を伝えたくても手段がない。

息子にも妹にもそれから仕事先にも‥‥

どうしよう‥‥

 

運転席にも助手席にもない。

一旦、車を降りて後部座席の下を覗いた。

‥‥

‥‥あった

ピンクのカバーが燦然と輝いていた。

何かの拍子に落ちたのね。

‥‥

 

携帯電話なんかなかった時代に戻りたい。

便利かもしれないけど、ないですませていた時代が懐かしい。

 

見つかった携帯電話を見つめながらわたしは実感する。

(支配されてる‥‥)