森野きりりの漂流日記

容姿もダメ頭もよくない、おまけに性格も悪いと自分を否定することしかしなかった女の子が、人生の荒波の中で「いやいや何も取り柄がなくても大丈夫さー」ということに気が付いていく長い長いお話です

母と見た映画の思い出

 

 

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母と一緒に見た映画は二本しかない。

ひとつは1999年の『鉄道員(ぽっぽや)』

 

テレビで流れていた『鉄道員(ぽっぽや)』の高倉健をじっと見ていた母の後ろ姿。

何気なくその姿を眺めていたわたしは、

(普段映画を見ることなんてないのだなー)

(一緒に行こうよって誘ったら喜ぶかな)

そう思いついて母を誘った。

 

幼かったころのわたしは、映画館に貼られているポスターの中の健さんしか知らなかったから、高倉健といえばもろ肌脱いだ任侠映画の怖い人というイメージが強かった。

血を見るのが苦手なわたしは、大人になるまで健さんの映画を見る機会はなかった。

 

月日が流れ、いつの間にか健さんは(相変わらず寡黙ではあったけれど)怖いひとではなく、心の琴線に触れる映画がしっくりと似合う中年のおじさんになっていた。

 

 

さて

鉄道員(ぽっぽや)』

涙なしには見られないとのコメントを見て

「悲しい映画だからハンカチ用意していこうね」

「ハンカチ忘れないでねー」

しつこく確認すると、タオル地の分厚いハンカチを持って映画館に向かった。

 

泣く気満々のわたしと母は、今か今かと食い入るようにスクリーンを見つめる。

(泣くのはこのシーンかな…)

涙腺が緩むのを待っていたけど、静かにそのシーンは過ぎていった。

 

(あっ!ここかな…)

またもや期待するけど、泣くまではならなかった。

 

(ふーん…)

 

何度か泣けるかも…と思っていたのに、とうとうハンカチの出番はないまま、エンディングが流れ、館内が徐々に明るくなった。

母と顔を見合わせた…

 

「泣かなかったね」

二人の第一声がその言葉だった。



同じ年に、今度は洋画を見に行った。

『​​​​ライフ ・イズ  ・ビューティフル』

ナチスに迫害されるユダヤ人親子の悲しい映画だった。

 

悲しい映画だったけど、どんな時も明るく振る舞う父親の愛情が胸の中に深く染み込んでくる素晴らしい映画だった。

父親が亡くなったことも知らずに、ゲームの続きだと明るく振る舞う幼い息子の姿。

涙をこらえてスクリーンを見つめるわたし。横に座る母の目も涙で光っているように感じた。

 

映画館を出ると、

「見に来てよかったね!」

「いい映画だったねー…」

二人して自然に言葉が出た。

洋画だから、抵抗があるかな?来てよかったと思ってくれるかな?

いらない心配だった。

母が珍しく気持ちを表したのが新鮮だった。

 

映画は自分だけの世界に入り込みたいから、いつもはひとりで見に行く。

たった二本だけど、母と見た大切な映画の思い出です。