森野きりりの漂流日記

容姿もダメ頭もよくない、おまけに性格も悪いと自分を否定することしかしなかった女の子が、人生の荒波の中で「いやいや何も取り柄がなくても大丈夫さー」ということに気が付いていく長い長いお話です

腑に落ちる言い訳

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運転中って何してます?

 

車の免許をとったばかりのころは、運転に集中したいのでラジオもCDも聞かず無音で運転していた。

「えっ!なぜ、こんなに静かなの?」

と、驚かれるくらいに静かに静かに走っていた。

 

今はエンジンをかけるとクラシック音楽が流れる。

クラシック好きの人に話しかけられると困ってしまうので、口にすることはないけど。

 

クラシック音楽を好きだという人に対してわたしが抱くイメージは、音楽全般に造詣が深く、恍惚の表情で音楽に酔いしれる人。(単純なイメージだね)

 

 

以前、ドラマ「結婚できない男」で阿部寛が熱演していたのがそんな人だった。あの大きな体が曲のクライマックスで前後に揺れ、長い手が天井に向かって空を切る。

 

わたしは音楽に身を任せないし、恍惚の表情にもならない。生活音と同じレベルのさりげない状態でクラシックが流れているのがいい。

 

だから、車のエンジンをかけると同時に流れてくるけど、作曲した人も曲名もまったく知らない。なぜなら、そういうことには関心がないのだ。誰の曲で、どの時代に作られたかとは知らなくても、流れてくるから静かに聴いている。

いろんな音楽があるけど、間違いなく心地いいのがクラシックだったというわけ。



というようなことを考えていて、気がついたことがある。

大好きなのに、その大好きなものの背景に関心がないというのは、どうもわたしの特性らしい。

 

趣味にしろ、仕事にしろ、始まってしまった(又は、始めてしまった)大抵のものは長く続いている。飽きたから途中で止めようということがあまりない。

だけど、淡々と続けているだけで、深く知りたいという欲求がどうも薄いのだ。わたしの中で大切なのは、ひたすら淡々と…続けることらしい。

 

何を質問されても

「さあー、どうかな」

「うーん、分からない」

ということのなんと多いことか。

 

長く続けることができるという、すごい特技を持ちながら、それ以上の高みにいけないのはこういうことだったんだな…

 

(何やら、わからない結論になりましたが、自分自身はちょっと腑に落ちたのです)