森野きりりの漂流日記

容姿もダメ頭もよくない、おまけに性格も悪いと自分を否定することしかしなかった女の子が、人生の荒波の中で「いやいや何も取り柄がなくても大丈夫さー」ということに気が付いていく長い長いお話です

のどすっきり飴さん頼みます

 

 

今年はのどの調子が悪い。

ここ何年かそうなんだけど、特に悪い。

いつもいつものどに違和感を感じて

「えへん!えへん!」

まるで”えへん虫おじさん”

 

コロナはずいぶん収束した気はするけど、街なかをみればあの人もこの人も未だにマスクをつけて歩いている。サングラスして帽子かぶってたら、挨拶されてもどこのどなたか分からないから、半笑いで返すしかない。

 

一週間前の土曜日のこと。

朝起きて

(あれ…?)

のどが変…

「あー」

と言ってみたら、声が出ない!

 

倦怠感はない。頭痛も…ない。

風邪ではなさそうだけど…

仕事は休めないから、速攻かかりつけの病院にネット予約した。

予約できると思わなかったけど、朝五時ごろというのが幸いだったのか…

朝一番に予約できた。

 

一ヶ月に一度の薬を処方してもらったばかりなので

「あらー?どうしました?」

コロナを疑われた。

周りをみれば発熱外来の所に人だかりができている。

抗原検査したばかりだし、コロナではないはず。

 

診察してもらってものどが変という以外に症状がないので、のどに効く漢方薬を処方されて帰宅した。

声はでるようになったけど、しゃべると喉が痛い。イガイガする。我慢していると咳が出てくる。漢方薬は効いているんだか効いてないんだか…

 

 

 

黄砂だか、PMだか、ただ単にわたしののどが極端に弱いのか、なんだか分からないけど、こうなったらお助けマンの”のどすっきり飴”さんに託そう!

よろしくお願いします!

いわためき(以和為貴)

 

父がロッキングチェアに座って揺れている。

そのうしろに

”以和為貴”

と書かれた額縁。

ずっと”いわためき”と読んでいた。

意味はわからない。

 

ずいぶん大きくなって

”わをもってとうとしとなす”

と読むのだと知った。

”わ”って”和”のこと?

うーん… 

父と和ということばは繋がりにくい。

 

大人になって働くようになって

親になって子育ての苦労を知って

こどもも大人になり手が離れて

 

たくさんのことが過ぎたあとに

和ということばとは繋がらないけど、こどものときには分からなかったいろんな思いの中であがいていたであろう父のすがたがフッと浮かんだりする。

 

長く生きてきた年月は親の有り難さを知るための時間なのかもしれない。

父の話になると

「あの時はああだった」

「この時はこうだった」

と文句ばっかりいっているわたしと妹は

ふっと顔を見合わせて笑ってしまう。

仏壇に向かって

「ごめんねー!おとうさん」

「なんだかんだと言ってるけど、大切なことはお父さんとお母さんに教わったよ」

という結論に落ち着くのがいつものことだから…

 

”以和為貴”という文字を見かけると必ず父の顔が浮かぶ。

父が亡くなって十二年、母が逝ってからも1年半経ってしまった。

一歩一歩、父と母の年齢に向かうわたしと妹。

さて、どこまで迫れるだろう…

春爛漫(はるらんまん)が過ぎていく

 

今年は

地震が多い!

花や木の成長が去年より遅い。

 

去年の今頃はブルーベリーの花が満開だった。

「さてさて、そろそろ咲きましょうかね…」

おもむろに緑の間からうすいピンクの花がしゃしゃり出てきた。

 

 

毎年わくわく期待の無花果

プレッシャーを与えないようにさり気なく見上げる。

 

 

今年七回忌の姉の檸檬はひっそりと赤い色で

「忘れないでね…」

 

 

毎年驚かされるクレマチス

(今年こそ枯れたね…)

わたしの予想が外れたのを楽しむかのように、天に向かって伸びていく!

 

 

頻発する地震のニュースにドキドキしながら

春爛漫が過ぎていく。

ハッピー・バースデイ・トゥ・ミー

 

はぁ……

(今日もきつかった…)

 

ロッカー室に向かっているとうしろから声をかけられた。

応援でシフトに入っているスタッフさんの誕生日なので

「お祝いにショートケーキを食べよう!」

 

(…ここの職場はそんな慣習があるのか…)

(ケーキが食べれるならラッキー!)

思わず笑顔になって厨房に戻った。

 

主役の彼女は

「誕生日にこんなことしてもらったの初めてです!」

(!……)

友だちやきょうだいでお祝いしたりしないんだ…と少しびっくり。

 

「じゃー、じぶんでお祝いしてる?」

「えっ!じぶんにですか?しないですよ」

意味がわからないという顔の彼女。

 

わたしならだれもしてくれなくても

「おめでとうー!わたし」

ってお祝いする。

だれかがしてくれても…

やっぱりする。

それはそれ。これはこれ。

 

きつくてちょっと休んでみたり、そのままだらけてしまったり、でもまた切り替えて頑張ったり…毎日の暮らしの中でめげずに生きているなら…認めてあげる。じぶんで。

がんばっているかどうかをわかっているのは、わたし自身だもの。

 

でも、いまのわたしには欲しいものは特にないから

たとえば

美味しい珈琲を飲みに行ったり(こっそりね)

仕事に行ってるようなふりをして映画を観たり

図書館で閉館するまでダラダラ本を読み続けたり

友人とペチャクチャくだらない話を延々と続けたり…(延々とね…)

 

じぶんへのプレゼントはたくさんある。

どれを選ぶかはわたししだい…

 

楽しいこと選んだら、笑顔で

”ハッピー・バースデイ・トゥ・ミー”

 

ちいさなはるらんまん

 

外に出ると光が押し寄せてくる。

まぶしい春の陽射し。

次々に咲く花、道端の雑草…

八百屋さんの店先では

「とびきり美味しいよ!早く買ってー」」

と合馬の筍が流し目で呼んでいるこの季節。

国産の筍は値段が高くて

(もう少し安くならないかしら…)

と迷っているうちに季節が終わってしまうのがいつものこと。

むかしは合馬の筍にも負けない美味しい筍が手に入ったけど、それも遠い思い出になってしまった。

 

世の中はなんだかんだと騒がしい…

世界も政治もスポーツも。

想像もつかない事故のニュース、ひとは外から見ただけではわからないということを実感するニュース。ひとにぎりの楽しいニュースはどこかに紛れ込んでしまう。

思わず笑顔が出てくるニュースを見たい…

 


せめてちいさな花を見つめて歩こう。

 

 

存在してるのに見えてない

 

 

朝、神社の階段を降りていると足元に椿の花がたくさん転がっていた。

見上げても欝蒼(うっそう)と茂る緑ばかり。

赤い色は見えない。

(花はどこ…)

 

昼下がり、信号待ちでぼんやり空を見ていた。

雲一つない青空。

じーっと見ていると…

ぼんやりと白いものがあった。

月…とわかるまでほんの少し時間がかかった。

 

 

この季節のこの時間、月ってあのへんにいるのかな…

知ってるひとは知ってるけど、知らないひとは知らない。

……

 

信号を過ぎると車を停めて改めて月をながめた。

薄くてよーく見ないとわからない月を見ながら思った。

 

 

確かに存在しているのに見えてないものってあるよね。

 

 

ひとの感情とか…

 

いま職場ではちょっとした騒動。

五人体制でチームを組んでいた中の一人が突然辞めた。

ギリギリの人数で回していたので、一人抜けても大変なことになる。

シフトを組み直し、てんやわんやの毎日。

ウォーキングでずいぶん改善した腰が、悪くなったら元も子もない。

晒(さらし)でぐるぐる巻きにした上から更にコルセットで締めあげて仕事に入る日々。

 

それにしても…

突然、放り出さないとやっていられないほど、いっぱいいっぱいだったんだ。

会社に対する不満があったのは知っているけど、大人の分別で解決することは不可能だったのか。

いや、大人の分別で解決しようよ…

何かをやめるときこそ大人の底力の見せどころじゃないかな。

 

それが無理なら、せめて

「がんばってね!わたしも別のところでがんばる!」

前向きなことばを交わして別れたかった。

 

 

でも…

全部放り出したくなるようなことが存在していたのに、

同じ空間に居てなんにも見えてなかったんだね…

はるらんまん

 

朝晩は冷えるけど、ウォーキングにはちょうどいい季節。

一日の目標は八千歩。

多いときは一万五千歩を超えることもある。

そのおかげか腰痛は軽くなった。

 

咲き乱れる花々に目を奪われるけど、ただ花粉症がね…

むかし、急性蓄膿症で怒涛の治療をしたあと、鼻の中がすっかりきれいになったのが原因かどうか分からないけど、蓄膿症と入れ替わったようにアレルギー性鼻炎になった。

 

となりの部屋に移動しただけでクシャミ。

外に出るともちろんクシャミ。

夕暮れ時になると息もできないくらい鼻が詰まる。

枕元にティッシュペーパーの箱を置いて、寝る間もないくらい鼻を噛みながら

(あしたの朝まで生きているかしらん?)

と思うくらい息が苦しかった。

JRとバスを乗り継いで病院通いに余念がなかった。

「何に反応するか調べたの?」

って聞かれても

「調べたからって防ぐことはできないから」

無駄だと思うからしたことはない。

 

四十年の月日が流れ、いつの間にか花粉症で悩むことはなくなった。

飲み続けた薬がよかったのか、体質が変わったのか、老化でにぶくなったのか…

でも、いつ何に反応するかはわからない。お守りで薬は今も持っている。

 

 

”春といえば花粉症!”

ではなくなってから、ひたすら上を見上げて歩く日常。